やっとやっと、選挙の片付けが落ち着いてきました。
職場の「八幡のゆ」でたまった仕事にも
ようやく光がみえてきたかな…(^^;
令和5年9月24日に行われた選挙では、
前回選挙より15.76ポイントのダウンの
54.82%でした。
先日、選挙管理委員会に年代別の投票結果を尋ねたところ、
「現在集計中」とのこと。
「とりまとまったら、教えてください。」と頼んできました。
もっとも身近な政治であるハズの町議会議員選挙が
60%未満の投票率だったことは
町選挙管理委員会としても話題だったそうです。
何らかの事情で、投票したくてもできない人は別として、
できる環境なのに「投票しない」ということは、
「私は政治に参画しません」という意思表示と感じます。
私が考えうる低投票率の原因は、
・議席に対して、立候補者が少なかった
(16議席に対して17人の立候補)
・選挙公報が発行されず、候補者の公約を知る機会がない
(特に、若い年代は候補者と接する機会が少なく、「全員知らない人だし…」という声も聞かれました)
・日頃から、議員が何をしているのかわからない
(議会だよりでは、議員個人がどんな主張をしているのかつかみづらい、と感じます。議員個人の発信が必要です。)
また、投票したくてもできなかった人の声として
「わ(私は)、一人っ子(独り暮らし)だべ?
足もわりい(悪い)し、(投票所まで)行けねえ。
息子もいそがしすけ(忙しいので)、
乗へてけろって言えねくてよ。」
というのも聞かれました。
議会は、「できるのに投票しない人」に対して責任があり
町は「したいのに投票できない人」に対して責任があると考えます。
私が4年前、初めて議員になって感じた衝撃は、
政治の世界では、
「無言はyes」と見なされる。
ということです。
多数派であっても、政治の舞台で発言がなければ
その意見は「ないもの」と判断されるのです。
つまり政治家は、「声なき声」を届けるために
存在するのだと思っています。
政治家は住民の付託をうけたら、
議会において発言する義務があります。
議員が発言しないということは、
自分以外の多数派に「賛成」を意味します。
町民が投票しないということは
自分以外の多数派に「賛成」を意味します。
皆さんは、どうでしょうか?
4年間、今回の低投票率の反省を心に
議会の発信、選挙公報の実現に向けて
取り組んでいきたいと思います。